湯浅博

故中村粲氏が主宰する昭和史研究所が、元軍人、元警察官らから戦地での体験を記録していた。 満州国奉天省海城県警察で慰安婦を扱った元経済保安股長は、「殆ど朝鮮の人だったが、戸籍謄本と医者の健康診断書、それと親の承諾書、本人の写真、そして許可申請を一括して私の所に持って来る訳です。強制連行とか、さらって来たなんて云うものではない。何でさらわれて来た者に親の承諾書や戸籍謄本がついてるのか」と語った。 また、第6師団工兵第6連隊の所属兵が朝鮮人女性から聞いた身の上話は、「十八歳の私のからだは、三百円、それに父の負債が八十円、女衒は合計三百八十円を私の前で両親に手渡した」という悲しい顛末だった。彼女は他の女性たちと一緒に女衒に連れられて行き、朝鮮人が経営する上海の慰安所に入ったという。 歩兵第216連隊第3大隊本部付陸軍主計軍曹の話では、朝鮮人の斡旋業者が人を介して接近してきた。この軍曹は「大隊の関与は建物の建設と軍医による性病検診、利用規則を作ることだった」と述べる。慰安所で働く朝鮮人慰安婦は平均月収が150円から220円、月額最低150円を故郷に送金していたと証言している。 軍・官39人によるの記録は、強制連行の汚名をそそぐ率直な反論であった。